データで見るネパールの教育2: 教育の効率性-後編

前回はネパールの教育の効率性について、退学率と留年率の観点から紹介しました。今回は、コーホート再構築法を用いた分析から、ネパールの教育の効率性について紹介しようと思います。

 

まずは、コーホート残存率(今回は、ネパールの初等教育最終学年である5年生まで辿りつける子どもの割合を検証するので、「5年次残存率」と表現します)を見てみましょう。下の図が、5年次残存率を計算するために作成したものです。なお、通常は2年間の生徒数の推移を踏まえて退学率と進級率を計算しますが、今回は計算の分かりやすさを優先させるために、政府が公表している退学率・留年率を信頼して、1年分の教育統計からコーホートを再構築しています。また、今回は在学中に3回留年する子どもはいない、という仮定を置いています(ネパールの教育制度上、3回以上留年ができない訳ではありませんが、同じ学年での複数回の留年は広く見られる退学要因の一つとなっているため、2回を上限としました)。また、前回の記事でご紹介したとおり、各学年の留年率・退学率は7年間を通して一定であり、転入生もいないものとしています。

2

1年目に10000人の入学者がいたとします。赤い矢印は退学、青い矢印は進級、黒い矢印は留年を現しています。赤矢印が示すように770人は退学(10000人×退学率7.7%)し、黒矢印が示すように1990人が留年(10000人×留年率19.9%)するので、2年目の1年生のマスには1990という値が入力されます。無事に2年生に進級できる子どもは青矢印が示すように7240人なので、2年目の2年生のマスには7240という値が入力されます。このような感じでシミュレーションを進めていきます。

 

この結果を見ると、5年生まで辿りついたのは、10000人のうち7803人(留年・退学なくストレートで進級した5075人)であり、5年次残存率は78.0%となります。つまり、留年や退学に関するトレンドに変化が無ければ、2013年に小学校に入学した子どもたちのうち、約5人に1人は7年間かけても5年生に辿りつくことができない(退学してしまう、あるいは留年している)という計算になります。この数値は、公教育システムが子どもたちの学びを十分に支えているというには、やや厳しいものだと言えるでしょう。

 

次に同じ表を用いて内部効率性係数を示します。内部効率性係数とは、一定期間内に就学した児童総数と卒業者数に着目して、教育に対する投資が、どの程度効率的に児童の卒業に結びついたかを百分率で示す指標です。具体的に数式で表すと、「卒業者総数×教育年限÷投資対象となった延べ児童総数×100」となります。

上の表に基づいて計算すると、卒業者数は7669人で、各学年に在籍した延人数は1年生から順に1年生12386人、2年生9699人、3年生9124人、4年生8739人、5年生8199人の計48147人となるので、ネパールの初等教育の効率性係数は「7699×5÷48147×100≒79.95」となり、約80%ということになります。つまり、ネパールの初等教育システムの効率性は、留年も退学も存在しない教育システムの80%程度であり、改善の余地が大いにあることがこの値から見てとれます。

 

なぜ、ネパールの初等教育の効率性は高いと言えないのでしょうか。やはり鍵となるのは、小学校1年生での高い留年率と退学率です。この「小1問題」は、途上国全般で広く見られる現象で、主要な背景としては、質の高い就学前教育が十分に行き渡っておらず、スムーズに小学校での学習に入っていけない子どもが多いことが挙げられます(就学前教育の就学率は73.7%、就学前教育を受けたことがある新入生の割合は55.6%)。また関連して、ネパールの場合、小学校の就学年齢に達しない子どもが実際には小学校1年生として就学していることも、「小1問題」を引き起こす要因になっていると考えられます。つまり、就学前教育が整備されていない地域においては、幼い弟や妹と一緒に通学する児童が少なからずおり、そうした就学年齢未満の弟や妹は当然、次の年も1年生として過ごすことになる(留年する)ため、結果として効率性が低くならざるを得ません。また、5年生の退学率の高さも大きな課題です。これは、5年生修了時に課される試験に合格しなければ次の教育段階に進めないことや、子どもを中等教育段階まで進学させる経済的余裕がない(教育投資によるメリットが短期的に見えない)家庭が依然として多いことなどが、影響していると考えられます。

 

ネパールにおける教育の効率性を改善していくためには、このような状況を踏まえ、不利な環境にある子どもたちも質の高い就学前教育を受けられる環境や、家庭の経済水準によって進学を諦めることがないような社会制度を整備することが必要と言えるでしょう。